明け方

できるだけ早く起きて朝やけをみる

2022.8.3-2023.1.11

8月3日

妻ちゃんが裏のミニ菜園に野菜を植えてからというものの、それらをたいそう愛でている。そしておれは毎朝様子を見に行っているその姿を愛でている。妻ちゃんが外に出ればスマホを構えて窓に張り付いてその様子を撮影するのだ。嬉しそうに覗き込んだら水をあげる姿がかわいすぎておかしくなるぜ。

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先日腰椎ヘルニアと診断されて、痛み止めを処方してもらったのだけどどうも効きが良くないみたいで朝からちゃんと痛い。腰より脚の付け根が痛くて歩くのがしんどい。自宅から最寄り駅までは自転車を使えるのでまだ楽だけど、職場の最寄り駅から職場が大変だ。普通に歩いても13分かかる。昨日は痛くて30分かかった。ゆえに地下鉄乗車中にUberでタクシーを手配した。キャンペーンで300円割引になったが、ただの通勤にタクシーは痛い出費です。帰りのことを考えると気が重い。しかもイヤホンを忘れてしまって、地下鉄で観ているめちゃ面白ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』が進まない。

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結局帰りには痛みがかなり治まっていたのでなんとか地下鉄駅まで歩けた。CBCラジオ『むかいの喋り方』を聴き始めると馴染みのない声が聞こえて、番組をまちがったかと思ったけど療養中の向井慧の代役のジャングルポケットだった。初の生ラジオで“かかっちゃってる”太田のテンションが面白かったです。帰宅して、昨日買って食べなかったセブンイレブンの惣菜を食べた。セブンの惣菜、みるみる少なくなって値上げしていくな。

 

8月9日

昨夜は土砂降りだった。居間の温湿度計が、室温27℃湿度78%という激カビ案件の数字をたたきだしていたので、自宅の換気扇を入れっぱなしにして出勤した。通勤の地下鉄はいきなり座ることが出来て、いつもより妙に空いてるななどと思ったけど何のことはなく世間はお盆休みに入っているのだとすぐに気づいた。『空気階段の踊り場』の年に一度のコーナー「真夏の果実を聴かせて」が名作すぎる。2人の「いつか海辺で真夏の果実をかけるようなラジオを収録したい」という夢は今年もスタッフの体調不良により叶わなかった。昨年同様いつものスタジオでの収録となったが、リスナーから送られるメールのレベルの高さ、鈴木もぐらの天才的なリーディングと最後のかたまりのリアクションとコメント、どこをとっても素晴らしい。結局おれはこういう素晴らしいエンタメに生かされていると心から思う。

 

9月6日
結婚して、良い場所に土地を買い、お気に入りのかっこいい注文住宅を建て、できれば将来子どもを作って家族仲良く暮らしたいと考えている。それらは全て、ひと昔前のホームドラマのような「ありふれた幸せな家庭像」だが、現代ではほんの一握りの人が手に入れられる贅沢なことのように思える。言わずもがな幸せの考え方は人それぞれで、近年は個人の生き方を尊重する社会の流れになっているような気がするが、当然あえて「幸せな家庭像」を選ばないのと、選ぶことができないのとは大違いだ。だから、うかつに自分の生活の話をすると、その表面だけ見られて自慢ととられることもあるだろうし、妬まれたとしても別におどろかない。自分じゃなくても、他人のSNSのリプライ欄に「自慢に見えるのでやめてください」みたいなのがぶら下がっているのももう見慣れた。もう古い話だが、昨年の正月に放送された『逃げるは恥だが役に立つ』のお正月SPの感想ツイートを観たとき、「この夫婦は色々苦労している風だが、そもそもこれは専業主婦として養える主人公の収入と良好な関係の親の協力があってこその話で、現代では上流家庭の部類だから世界が違いすぎて悲しくなる」といった論調も目立った。悲しくなるまでは思わないが、言っていることは少しわかる気はした。就職して、結婚して、子供を産んで、子育てをするという、昔は普通にできたことが、現代ではかなり高いハードルになっている。こういう話にピンとこない人は、単にこれまで自分が生きてきた中の当たり前のレベルが高かったということに過ぎない。自分の普通は他人の普通ではないことを知ることはとても大切なことと思う。(だからって政治家家系の○世議員に弱者の気持ちが分からないのなんて自然なことだから仕方ないなんてことは微塵も思わないぞ。)おれはお金持ちの家に生まれなかったし、今も高給取りでもないけど、他人から見た「幸せな家庭」を築くチャンスがあるくらいには恵まれているほうだ。でも、これまでのいくつかの選択の中で、少しでも違ったほうに進んでいれば、人の幸せを妬む側になっていても全くおかしくない。寧ろ、地方の中核市で生まれ育って、別にポリシーがあるわけでもなく高卒で、一人で社会にでてみても不安でたまらなくなり、結局就職したおれがこの2022年に不安に押しつぶされることなく息をしていることは奇跡に近い。がんばった方が良かった時にがんばれなかった人もいるし、がんばり方を間違えたり結果に結びつかなった人もいる。もちろん限度はあるけど、どこかで間違ってしまった人だって、いつかちゃんと幸せになれる社会であってほしい。あのときは怠けて遊んじゃったけど、これからがんばって働いて取り戻すぞ!でなんとかなる社会がいいな。だめかな。

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9月19日
仕事は全然忙しくはないのだけど、職場が嫌なので必然的に連休は飛び上がるほど嬉しい。3連休は妻とスーパー銭湯に行ったり、勢いでしゃぶしゃぶをしたり、小学生の頃に大ハマりしたゲームボーイのソフト「ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド」のスマホ版を始めて、深夜までのめりこんでプレイしたり、ちょっと元気がなくなって寝て取りなおしたり、レイトショーで『女神の継承』を観て恐怖の底に叩き付けられるなどしていた。超怖かった。

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10月4日
夫婦そろって遅刻確定レベルで寝坊した朝、「もう間に合わねえな」と心の中で呟きながらスマホTwitterを開くとトレンドワードに「Jアラート」の文字があった。なんだまた北朝鮮がやりやがったなと呑気にニュースを見ると、おれが住んでいる地域の住民は、建物から出るなだの地下に避難しろだの窓を閉めろだの書いてある。どうやら交通機関もストップしているようだった。それを急いでシャワーから上がってきた妻に伝えようとするも、そもそも「Jアラート」という単語が日常生活で出てこないので、そこからうまく伝わらない。Radikoを起動するとどこの局でもそれを報じていて、大まかな現状を把握した。繰り返れるアナウンサーの注意喚起がますます非日常感を演出してくる。おれはどうせもう遅刻だし、ロケットは飛翔中だし、とりあえず今外に出ちゃいけないよと妻に言うも「仕事は!?」と返されてしまった。そりゃあんた今この状況で行っても仕方ないでしょうと言ったのと同時くらいに、ああ広島の原爆も、家族がこうやって離れ離れになった朝の時間に落とされたんだなとふと思った。卑劣だ。
ミサイルだかロケットはその数分後に通過したとのことで、急いで準備して仕事へ向かい、交通機関の乱れで遅れましたよ~という顔でしれっと席についた。明日も当たり前の日常がありますように。


10月8日
待ちに待った週末、Switchでドラクエ10オフライン版に勤しむ妻ちゃんを横目に家中の掃除を始めた。やりだすと止まらず、洗い物や洗濯などもこなした。妻ちゃんは平日忙しいので、のびのび過ごしてくれればいいと思ったので、今日は特に家事ストレスを感じない。昨日本屋で買った『枡野浩一全歌集 毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』を読む時間を確保しようとしていたけど、それは後回しにした。

何せ今夜はキングオブコント2022の放送日だ。昨年が史上最高レベルの大会と謳われたことに異議はなく、今年も大いに期待をしてしまう。ただ、個人的にその期待を下回る結果となってしまった。確かにこれまでの歴史から言うと随分レベルが高いことは言うまでもないのだけれども、期待していた組や、元々大好きで贔屓目に見てしまいそうな組も、ほとんど笑うことができなかった。ただ、その中で光り輝いていたのが、ロングコートダディの「料理の鉄人的な人が登場するシーンで毎回コック帽を落としてしまうやつ」で、シンプルかつ間も完璧で、何よりバカで面白かったです。それと、優勝トロフィーの返還に登場した前年王者の空気階段の見た目の小綺麗さに笑っちゃったな。

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10月14日
3日連続で早起きに成功して嬉しい。早起きはした方が良いことは頭ではわかっているのでけど、朝の10分は夜の60分くらいの価値に感じてしまって、つい妻にくっついて何度寝もしてしまうことが多い。おれのいびきの騒々しさに耐えられなくなった妻がとうとう別の部屋に布団を敷いて眠るようになってしまったので、この時間が最上位レベルで大事なのです。話は戻るけど、今日はちゃんと早起きに成功して嬉しい。数か月で体重が4キロも増えてしまったし、顔がたるんできたのでなんとか絞りたい。こういうことをストイックにできる人は本当にすごい。おれはそこまでできない。きっとすぐにも家系ラーメンのお店に吸い寄せられるのです。
ノーネクタイの期間も終わってしまって、着るワイシャツを選ぼうとしたら、1着しかなくてそれが先日乾燥にかけてシワシワのやつだった。シワのついた服を着るのはビジネスシーンではもちろんナシだし、私服でも気になってしまって苦手だ。ただ、アイロンをかけるのもすごく嫌いだし、今朝はそんな時間もなかったので、それを着て仕事に行って、シワを隠すため、暑いのにカーディガンを着たまま仕事をした。


10月23日
昨日食べた鍋のスープの残りで作ったラーメンが美味しくて満足した。子どもの頃から鍋物で出る出汁のおいしさには絶大な信頼を寄せているので、少しでもスープが余ろうものなら絶対に何かしら活用しないといけない気になってしまう。実家では、冬の日曜日は毎週鍋をやっていて、その〆はいくらその前に食べ過ぎてお腹を壊していようとも意地でも食べた。その習慣は今でも消えないのだ。さすがに当日中の〆はやらなくなったけれども。
一人で街まで出かけて、ZINEの出展イベント「NEVER MIND THE BOOKS 2022」に足を運んだ。クリエイターと客とのコミュニケーションが大事とされるこういうイベントはやはり不向きで、どの出店も素敵に見えたのだけど、一周してすぐに出てきてしまった。もっと人が少なくて、自分のペースで作品を吟味できればきっと楽しいのだけれども。予定を大幅に巻いてしまったので、14時予約の美容室までずいぶん空きができてしまった。こんな時に時間も心の隙間も埋めてくれるのは大型書店です。平積みされた文芸書の中で、芥川賞受賞作の『おいしいごはんが食べられますように』の表紙が可愛かったので買った。

新刊の小説を買うなんていつぶりか分からないほど久しぶりだ。今読まなかったら自宅の巨大本棚に飲み込まれて一生読まない気がしたので(そもそも読むために買っているのだが)、書店に入っているカフェでケーキセットを食べながら読んだ。主要登場人物の一人の食事に対する「腹を満たすだけのもの」という考え方が、信じられないほど共感できなくて面白かった。そのあとの美容室では、眉毛サロンメニュー、パーマ、カット、フェイス・ヘッドスパというフルコースだったが、所要時間が長ければ長いほどお店の人との会話に苦慮した。いや、気にしないで黙っていればいいのだけど、どうにも気まずくて常に次の話題を頭の中でぐるぐる巡らせてしまう。2,3年前に、10年ほど担当してくれた美容師さんが地方で開業するために辞めて以来、同じ店の別の美容師さんに担当してもらっているが、どうにも話題が合わない。毎回似たような話をしてしまう。おれが頑張ることではないことは分かってはいるのだけども。
妻の友達(出産のための里帰り中)が家に遊びに来ているとのことで、挨拶するために少し急いで帰宅した。家ではあいさつ程度だったけど、エネルギッシュで明るくて素敵な人だった。妻の友達には魅力的な人が多いので、そういう人に会えたらうれしいし何だか刺激になる。駅まで友達を送りに行った妻を自転車で追いかけて迎えに行くと、まだ別れる前だったので結局合流して一緒に見送った。もちろんもう一度ご挨拶したかったという気持ちもあったからそれでよかった。


12月3日
90歳を過ぎた母方のおばあちゃんがコロナに罹ってしまったという報せを聞いて心配している。生きている唯一の祖父母で、同じ市内の施設に入っているが、中に入ることが許されていない。だからこの3年間はまともにゆっくり話したりしていない。おじいちゃんとおばあちゃんは生まれた時から実家のある同じ市内に住んでいたし、幼稚園の時に実家を建て替えているときは一緒に住んでもいた。頻繁に色んな所に連れて行ってくれて、幼少期の様々な原体験をもたらしてくれたと思う。
おじいちゃんは本当に優しくて孫に甘くて、よくおばあちゃんに内緒でお小遣いをくれた。それは成人しても変わらず続いて、ちょっとおばあちゃんからの死角を見つけると、すかさずお札を手に握らされたりした。おれは子どもの頃は特に遠慮深くて、そのやり取りが少し苦手で、おじいちゃんに冷たくしてしまったりすることもあったと思う。そんなおじいちゃんは5年前に亡くなった。家を売り、おばあちゃんと一緒に老人ホームに入ったものの、すぐに病気が悪化してあまりその部屋では過ごさなかった。病院のお見舞はたくさん行った。愛されていたからみんな会いに行った。もうほとんど喋れなくなってしまった頃に、ホームの部屋でおじいちゃんの誕生会をして、みんなからプレゼントを渡したら頑張って声を出して「ありがとう」と言ってくれた。それを見て父が急に号泣しはじめ、その場にいたほかのみんなも泣いた。死んでしまうことがその先に見えていて、次の誕生祝いはできないことが分かっていたからだろう。その数か月後の最期には幸い立ち会うことができた。もう呼吸も浅く短くて苦しそうなときに呼びかけると、振り絞った大きな声で反応してくれた。みんなに見送られて幸せな人生だと思う。この時に家族って大事だなと心から思ったのだけど、皮肉にも同室にいた当時の配偶者とはその後離婚して一生顔も見たくないのである。
おばあちゃんはとても気が強くてパワフルな人で、おじいちゃん同様随分可愛がられている。子どもの頃から話しやすいのは断然おばあちゃんの方で、おれが言った冗談でよく笑ってくれた。コロナに罹ったと聞いて電話をすると弱気も弱気だったが、声が聞けて何よりもうれしいと泣いていた。その後にまた電話した時も泣いていた。正直絶対に友達になれないタイプで、家族全員手を焼いている人物ではあるのだけど、かわいいところも優しいところもたくさん溢れている人間味ある人だ。別れの覚悟はしておかないといけない年齢であるが、思い出がありすぎて無理だ。まずは元気になって、おじいちゃんの七回忌法要を一緒にやってあげなければならん。


12月12日
昨日までの3日間、ディズニーリゾートで遊びつくした。何度も同じアトラクションに乗ったり、勢いで課金したり、おいしいご飯を食べたりして楽しかった。ほんと、純粋に楽しかったな。

 

1月11日

年内には夏から続いていたこのダラダラとしたエントリーを投稿しなければと思いながら、すっかり年もあけてしまった。そして今朝おばあちゃんが亡くなってしまった。コロナではなく、持病の悪化で。

まだ実感はないけれど、いつかくる別れなので、受け入れなきゃな。今年は明るい年にしたい。暗くちゃ何事もダメだ。