明け方

できるだけ早く起きて朝やけをみる

2024.3.8

ドラゴンボールから得た少年時代の輝きは、一生の宝物です。

2024年3月8日時点での私、33歳は、就学した頃にはオリジナルストーリーのテレビシリーズ『ドラゴンボールGT』の放送すら終わっており、まさにドラゴンボール狭間の世代だったと思います。私のドラゴンボールとの出会いはアニメでした。小学校低学年の頃、平日の夕方4時に再放送を偶然見たのが最初でした。天下一武道会天津飯と対決するあたりで、その戦闘シーンのかっこよさ、魅力的なキャラクターの数々に一気に心を奪われ、公園で友達の青木くんと真似ながら闘いごっこをしていたことをよく覚えています。

すっかりドラゴンボールの魅力に取り憑かれた私でしたが、当時、テレビシリーズはVHSすら発売されておらず、当然インターネットもないので、その再放送のブラウン管の前だけがドラゴンボールの世界と繋がる唯一の手段でした。そしてその再放送も、『ドラゴンボールZ』に繋がることなく、マジュニアを倒したところで終わってしまいます。悲しみにくれた私は、近所の児童会館に単行本があったことを思い出し、行ってみるも、なぜか19巻と24巻しかなく、仕方なく全然話の繋がらないストーリーを何度も何度も同じ巻を繰り返し読みました。さすがに、全てを読まないと気が済まなくなった私は悶々とした日々を過ごしました。

そんなある日、5歳離れた兄に漫画喫茶に連れて行ってもらうチャンスが到来します。地元にあった、やけに広くて殺風景な漫画喫茶に並ぶドラゴンボール42冊を前に目を輝かせました。それと、お昼に注文したエビピラフの味は今でも覚えています。しかし、3時間程度で読み終えることは当然不可能で、またいつ連れて行ってもらえるか分からない次の機会まで待つことはできませんでした。当時、お小遣いは十分にもらっていましたが、堅実な性格だった私はあまり手を付けずにいたので、単行本を自分で買い揃える決心をしました。一気に買うことはできませんでしたが、例えば出かけて本屋さんに寄ったときは一冊買うなど、少しずつ、世界に散らばる玉を集めるように揃えていきました。本棚に並べると背表紙の絵が繋がっていくワクワク感は、一気にそろえる大人買いでは絶対に得られないものでした。母親も協力的で、何巻まで買ったかを把握して、どこかへ出かけた時のお土産として、単行本を買ってきてくれたりもしました。単行本を買い揃え、何周も繰り返し読んでいた小学6の頃、母親のファインプレーで我が家にスカパーが導入されました。ちょうどその頃、アニメのDVD BOXが10万円で発売するという時期で、お年玉の貯金を使って買おうか真剣に検討していたころでしたので、スカパーのパンフレットでanimaxというチャンネルのタイムテーブルに見つけた『ドラゴンボール』の文字と、筋斗雲に乗る悟空の姿に、私の胸は踊りました。ついに!アニメに辿りついた!スカパー加入後はすべての録画を欠かさず行い(母親の大いなる強力な支援のもと)、中学を卒業するころには、アニメシリーズ全話をDVDに収録することができました。中学生になっても、ドラゴンボールへの熱は冷めることはなく、むしろ増していくばかりでした。行く先々のブックオフで昔の映画のカラーコミックを探したり、中古のおもちゃを買ったり、PARCOに入っていたホビーショップでフランスから輸入した変な顔のミニフィギュアを集めたりしました。2024年現在、テレビシリーズの新作も控え、街には当たり前にグッズが並び、インターネットさえあればすぐに情報を得られます。今の子どもには信じられないかもしれませんが、原作終了に近い20年前の私の少年時代の方が、圧倒的に作品に触れる機会が少なかったのです。連載もアニメ放送もなく、たまにPSで新作ゲームが出る程度でした。そのほかは前述のとおり、古い当時の物を探すくらいでした。それが悔しくもあり、宝探しをしているようで楽しくもありました。超メインカルチャーである同作が、あの数年は間違いなくサブカル的な存在だったのです。思春期の私はやがて、ドラゴンボールは少し子どもっぽいと思われてしまうように感じ、周囲に自分がマニアであることは隠すようになりました。そのかわり、家でインターネットができるようになり、ファンサイトをよく巡回しました。「DRAGONBALL MANIA」というサイト、今調べてみると、当時の空気を残しながらしっかりと生きていました。これぞインターネットだ!嬉しい。同人小説や、掲示板、チャットというものもそこで初めて出会いました。ドラゴンボールはいつも私に新しい世界を見せてくれました。成人して、社会に出るころには、すっかりドラゴンボールから離れていました。新作映画はサブスクの配信が始まれば観てみる程度で、そのほかは全くついていけなくなってしまいました。それでも、令和生まれの小さな子どもが、かめはめ波を真似られることに感動します。ずっと面白いもの、かっこいいものとして続いていくこと、作り上げていくことに畏敬の念に打たれます。ドラゴンボール全42巻は、実家から持ってきた、私が少年時代にそろえた唯一の漫画です。いつか、子どもができたらそっと子ども部屋に並べておきたいと思っています。それを手に取ったとき、あの圧倒的なワクワクを感じてくれるでしょうか。再放送を見た時のように出会いをなってくれるといいな。

 

子ども時代の全てにドラゴンボールが側にありました。本当にありがとうございました。


今日、2024年3月8日の昼に鳥山明先生の訃報に触れ、ドラゴンボールと共に過ごしてきた子ども時代を思い出してしまいました。私は、間違いなく鳥山明先生とさくらももこ先生の作品で育ち、二人ともいなくなってしまったなと思います。二人の作品から受けた死生観は、こんな時ほど、心に留めておきたいです。


コジコジ
“体が死んでもたましいは生きてるよ ブヒブヒもスージーもまたいつか会えるのに 次郎君そんな事も知らなかったの?”


孫悟空
“殺されたみんなや破壊された地上はドラゴンボールでもとにもどれるんだ気にすんな”